乳癌患者の妊娠・出産と生殖医療に関する診療ガイドライン

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総論
挙児希望を有する乳癌患者に対する生殖医療について

乳癌患者において生殖医療を行う際,単純に妊娠・出産を目的とした不妊治療とは異なる考え方が必要となる。特に,生殖医療ならびに妊娠が乳癌に与える影響を考慮しなければならず,近年重要視されているプレコンセプションの観点からのアプローチも重要となる。

がん治療医には,再発率を含めた患者自身の生命予後や,生殖医療ならびに妊娠・出産が疾患に与える影響の有無,現実的に乳癌の治療後に妊娠・出産を経て児を養育することについて可能かどうかを十分に検討したうえで,生殖医療医にコンサルトすることが期待される。一方,生殖医療医には卵巣機能を含む妊孕能を評価しつつ,医学的かつ倫理的な見地から問題がない場合にのみ,がん治療に支障をきたさない範囲内で生殖医療を実施することが許容される。

本章では,乳癌患者に対する生殖医療について,生殖医療のアウトカムである生産率等のみならず,安全性等の両側面から推奨を示す。しかしながら,本領域では前方視的ランダム化試験等による十分な臨床的エビデンスが極めて少ない状況であり,患者説明の際には,予後に与える影響についての不確実性を伝達するとともに,今後,乳癌患者での安全性のデータが蓄積された際には,推奨が変更となる可能性があることに留意して情報提供すべきである。

卵子の老化と卵巣予備能

女性乳癌患者において妊孕性温存を考慮するとき,卵子の生理を理解しておくことが重要である。女性では出生後に卵子を新たに作ることはできず,出生前に500万~700万個,出生時に約100万~200万個,初経時には約30万個にまで減少し,1カ月で約1,000個の割合で恒常的に排卵・月経・治療の有無にかかわらず消滅し,閉経時には約1,000個になると報告されている。ただし,出生後の卵子数や閉経時の卵子数に関しては個人差や報告差がある1)2)。一般的に閉経約10年前から自然妊娠は不可能となり,42~43歳が自然妊娠の限界であるとされる。妊娠の限界は年齢的要因が強調されるが,卵子は年齢とともに数が減少するのみならず,質的老化の影響もあるため,数と質の両面から妊孕性を考慮せねばならない。なお,卵子数の目安である卵巣予備能の指標として頻用されつつある,抗ミュラー管ホルモン(anti-Müllerlian hormone ; AMH)の測定に関しては,日本産科婦人科学会の生殖・内分泌委員会(平成27-28年)より,

  1. AMHは卵子の質とは関連しない。
  2. AMHの測定値は個人差が大きく,若年女性でも低い場合や高齢女性でも高い場合があり,測定値からいわゆる「卵巣年齢」の推定はできない。
  3. 測定値と妊娠する可能性とは直接的な関連はなく,測定値から「妊娠できる可能性」を判定するのは不適切と考えられる。
  4. 測定値が低い場合でも「閉経が早い」という断定はできない。

と注意喚起がされている。そのため,AMHによる卵巣予備能評価に関しては専門的な解釈が必要であり,注意を要する。

表1 女性における妊孕性温存療法
胚(受精卵)凍結
  • 最も確立した妊孕性温存療法
  • 35歳以降は加齢とともに徐々に成績が低下
  • 2週間程度の期間的猶予が必要
  • 夫の精子が必要(事実婚も可)
卵子(未受精卵)凍結
  • 胚凍結保存よりも妊孕性温存の効率が低く多数の卵子が必要
  • 35歳以上では成績が不良
  • 2週間程度の期間的猶予が必要
  • 将来の婚姻関係に柔軟に対応可能(凍結の時点で精子を必要としない)
卵巣組織凍結
  • 臨床研究段階の治療(2020年までに約200の生産例があると推測されている)
  • 35歳以上では成績が不良であると考えられている
  • 微小残存がん病巣のリスクあり(がん転移の可能性あり)
  • 外科的治療(手術)が必要だが短期間で凍結保存が完了
  • 使用する際には(現時点では)再手術を要する
  • 経腟操作を必要としない

生殖医療

乳癌患者に対して生殖医療を行う場合,化学療法や長期の術後内分泌治療によって低下することが懸念される妊孕性への対応策としての妊孕性温存療法の他,乳癌治療後に(加齢や化学療法によって妊孕性が低下している場合等)不妊治療として実施する生殖医療が存在する。前述の通り,いずれの場合においても,女性側の因子として重要であるのは卵子の数と質であり,特に胚凍結や卵子凍結の場合には,なるべく短い期間に多くの成熟卵を採取保存する必要性がある。一方,妊娠の成立や安全な出産には子宮や健康状態も重要であること,男性因子(精子)も重要であること,特に不妊原因の認められない特発性不妊症が占める割合も多いことから,妊娠・出産に至る過程には大きな個人差があることを理解せねばならない。

不妊治療として生殖医療を行う場合,高度生殖補助医療(assisted reproductive technology ; ART)の中で基本となるのは,体外受精(in vitro fertilization ; IVF)もしくは顕微授精(intra cytoplasmic sperm injection ; ICSI)による胚(受精卵)の作製と,それに付随する胚移植となる(embryo transfer ; ET)。一方,妊孕性温存療法として生殖医療を行う場合,患者が婚姻している場合には同様に胚凍結が基本となるが,パートナーが不在の場合は卵子凍結が考慮され,乳癌治療までに期間的猶予のない場合等には卵巣組織凍結の実施が検討される。表1に,女性における妊孕性温存療法の種類と特徴を示す。それぞれの妊孕性温存療法には一長一短があり,画一的に治療法の優劣を断ずることはできないが,妊娠成績と治療実績という観点からみた場合,確立された医療技術である胚凍結と卵子凍結が優先して検討され,一度に採取される卵子数を増加させるための調節卵巣刺激(controlled ovarian stimulation ; COS)の際に後述する様々な工夫が併用される。卵巣組織凍結は,未だ臨床研究段階の治療法であり,本邦では日本産科婦人科学会の施設登録制度のもと,臨床研究として50施設(2021年9月現在)において実施可能となっている3)

胚凍結や卵子凍結を目的としたCOSの方法は多岐にわたり,薬物を使用しない方法(自然周期)ないしは少量のみ使用する方法(minimum stimulation)がある他,薬剤を本格的に用いる刺激方法としてGnRHアゴニスト法(ロング法,ショート法)やGnRHアンタゴニストを用いるアンタゴニスト法等がある。これらCOSの方法は,患者の年齢や卵巣予備能,受診のタイミング,薬剤アドヒアランス等により決定されるが,共通する合併症として卵巣過剰刺激症候群(ovarian hyper-stimulation syndrome ; OHSS)が挙げられる。本合併症はCOSを含めた生殖医療に特有の合併症であり,卵巣腫大や下腹部痛をきたす他,血管透過性の亢進に伴う循環血漿量の減少に起因する急性腎不全や血栓症を誘発する疾患である。近年,アンタゴニスト法によるOHSS発症率の低下が報告されていることから,特に妊孕性温存を目的としたCOSの場合,欧米諸国を中心にアンタゴニスト法によるCOSが主流となりつつある。

乳癌患者に対してCOSを行った際の懸念事項として,発育した卵胞から分泌されるエストロゲンの増加による,ホルモン受容体陽性乳癌の増悪が挙げられる。それに対する対応策として,アロマターゼ阻害薬(レトロゾール)の併用がある。本剤をCOSの際に併用することにより,エストロゲンの増加を最小限に抑えることができるため,COSを行うことによる乳癌増悪のリスクを回避する試みがなされている。本剤の使用に関しては,かつては児に対する安全性が懸念されてきた背景があったが,近年では本邦のART登録データの解析結果により,新生児予後や奇形の発生率等に影響を及ぼさないことが報告されている。

さらに,ランダムスタート法やDouble Stimulation(Duo Stim法)等が工夫として挙げられる。元来COSは月経開始時期から行うことがセオリーであるが,妊孕性温存療法を希望するすべての乳癌患者が最適なタイミングで生殖医療施設を受診できるわけではなく,乳癌の治療まで十分な期間的猶予がない患者も存在する。そのような場合,月経周期にとらわれることなくCOSを開始するランダムスタート法が有効であることが報告されている。さらに,一回の月経周期の間に複数回の採卵を試みるDuo Stim法によって短期間でできる限り多くの卵子を確保する工夫がなされている。

以上のように,乳癌に罹患した患者ならびに治療後の患者が有する妊孕性の諸問題に対応し,安全性と有効性を向上させるための工夫がなされている。

参考文献