乳癌患者の妊娠・出産と生殖医療に関する診療ガイドライン

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挙児希望の乳癌患者に対し,卵巣凍結は推奨されるか?

推奨
挙児希望をもつ乳癌患者に対し,胚(受精卵)凍結・未受精卵凍結が実施困難である等,限定的な条件のもとで卵巣凍結の実施を推奨する。しかし妊娠率や生児獲得率等の不確実性から,一般的には胚(受精卵)凍結・未受精卵凍結を推奨する。
【推奨のタイプ:当該介入または比較対照のいずれかについての条件付きの推奨,エビデンスの確実性:非常に弱い,合意率:91.7%(11/12)】
推奨の解説:
乳癌患者に対する卵巣組織凍結による将来の妊娠,生児獲得に関するデータは十分とはいえず,実施可能な施設も国内で限られているのが現状である。しかしながら,パートナーがいない患者や,治療導入を急ぐため,胚・未受精卵凍結の実施が困難な状況の患者においては,リスク,有用性,経済的負担を患者に説明し,卵巣組織凍結の不確実性を十分に説明したうえで実施することを提案する。

CQの背景

挙児希望の乳癌患者が乳癌治療を行う際,妊孕性温存方法として胚凍結,未受精卵凍結,卵巣凍結の選択肢がある。具体的にどの方法を選択すべきかについて,年齢やパートナーの有無,また乳癌治療をどの程度急ぐ必要があるか,各々の方法を選択した場合の生殖医療のアウトカムは重要である。乳癌患者において,化学療法前に卵巣凍結を速やかに行うことは,がん治療の遅れを最小限にしながら多くの卵子の保存が可能である。一方で,腫瘍細胞の再移入,がん治療の遅れの問題が生じる。本CQでは,挙児希望のある乳癌患者に対する卵巣凍結のリスクと有用性について解説する。

アウトカムの設定

本CQでは乳癌治療前に卵巣凍結を受けた群と受けなかった群の2群間で,「妊娠率」「生児獲得率」「手技完了までの期間」「手技による合併症」「費用」を評価した。

採用論文

ランダム化比較試験(randomized controlled trial;RCT),非ランダム化試験(非RCT,分割時系列解析,前後比較研究),観察研究(コホート研究,症例対照研究,横断研究)は存在しなかった。事例研究を5編採用し,アウトカム別に「妊娠率」5編,「生児獲得率」3編,「手技による合併症」2編が該当した。

アウトカム毎のシステマティックレビューの結果

1)妊娠率

事例研究が5編であった1)~5)。それぞれの事例研究における妊娠率は0~100%と幅広いものであった。研究数が少なく,すべてが事例研究であることからエビデンスの確実性は非常に弱とした。

2)生児獲得率

事例研究が3編であった2)3)5)。症例が非常に少なかったが,生児獲得率は21.6~25.0%で,3編の論文でほぼ同等あった。研究数が少なく,すべてが事例研究であることからエビデンスの確実性は非常に弱とした。

3)手技完了までの期間

「手技完了までの期間」について評価されているRCT,非ランダム化試験(非RCT,分割時系列解析,前後比較研究),観察研究(コホート研究,症例対照研究,横断研究),事例研究は存在しなかった。そのためエビデンスの確実性は該当研究なしとした。

4)手技による合併症

症例報告が2編であった3)4)。合併症がなかったという報告の論文が1編,もう1編では8例中1例(12.5%)で合併症が発生し,その合併症は死亡という重篤なものだった。研究数が少なく,すべてが症例報告であることからエビデンスの確実性は非常に弱とした。

5)費用

費用対効果について検討された研究はなかった。

システマティックレビューのまとめ

5編の事例研究から,

  • 妊娠率
  • 生児獲得率
  • 手技完了までの期間
  • 手技による合併症
  • 費用

の5つのアウトカムについて検討した。

これらすべてのアウトカムについて,乳癌の対照群(妊孕性温存をしなかった群)と直接比較したものはなかったが,5編の事例研究があった。妊娠率5編,生児獲得率3編,手技による合併症2編が該当した。手技完了までの期間,費用について評価している論文はなかった。

益:妊娠率は0~100%,生児獲得率は21.6~25.0%であった。
害:手術による合併症は12.5%だが手術関連死という重篤な合併症(ただし非乳癌)であった。手技完了までの期間,費用については文献がなく評価できなかった。

推奨決定会議の結果

ガイドライン作成委員は,乳癌治療医4人,産婦人科医4人,看護師・倫理・医療統計・患者各々1人ずつの合計12人であった。申告の結果,経済的・アカデミック両者のCOIによる申告の影響はないと判断した。事前に資料を供覧し,委員全員の各々の意見を提示したうえで,議論および投票を行った。

1)アウトカムの解釈について

卵巣毒性を有する治療を受け,その後に妊娠を希望する女性に対して,提示される妊孕性温存方法として,胚凍結,未受精卵凍結,卵巣凍結の選択肢がある。患者の条件によって優先される妊孕性温存方法は異なることから,本CQで扱う妊孕性温存方法として卵巣凍結を行うことの妥当性を検討することは,「おそらく優先される事項である」という意見が10人中7人と多かった。一方で,胚凍結や未受精卵凍結より優先される状況は限定的であり,「優先事項ではおそらくない」という意見が3人から挙がった。

望ましい効果については,妊孕性温存方法としての卵巣凍結自体のエビデンスは蓄積してきているが,乳癌患者に対しての歴史はまだ浅く,妊娠率や生児獲得率という点で有効性を占める根拠は十分ではないことから,10人中「分からない」7人,「小さい」2人であった。しかし,非癌患者でのエビデンスは蓄積されてきていることから,将来期待される方法であるという意見もあり,「中」が2人であった。議論の中で,胚凍結・未受精卵凍結は乳癌の治療を遅らせる必要があること,また実施回数が制限され保存できる胚・未受精卵の数が制限されることに対して,卵巣凍結はすぐに実施できることや,配偶者を必要とせず,未受精卵の保存数が優位性として挙げられた。

望ましくない効果については,手術侵襲が挙げられた。また,望ましい効果が分からない中で望ましくない効果を判断できないという意見も上がり,10人中,「小さい」5人,「中」2人,「分からない」3人であった。1例の死亡例が認められたことが大きく影響しているが,非乳癌患者であることや,本来比較的容易な手技であり,患者の身体侵襲に関するデメリットは小さいと考えられること,また腫瘍細胞が混入するリスクがあることにも留意すべきという意見として挙がった。

2)アウトカム全般に対するエビデンスの確実性はどうか

アウトカム全体のエビデンスについては初回の投票時は10人中5人が「非常に弱い」,5人が「弱」と判断した。根拠となる論文は,すべて事例研究であること,また症例数が少なく非乳癌患者が含まれた研究もあった。以上より最終投票を行い,アウトカム全体に対するエビデンスの確実性は非常に弱いと判断した。

一方で,乳癌以外については,2004年以降,卵巣凍結後の妊娠・出産例が報告されており,エビデンスについては確立されつつある。

3)患者の価値観や意向はどうか

患者の価値観に関する研究は抽出されなかった。しかし,一般的に妊孕性温存の方法として未受精卵の保存数が多い等の有用性と残存腫瘍細胞や合併症のリスクに関する価値観は様々であり,重要な不確実性またはばらつきありと判断した。これらの,有用性とリスクを十分に説明し,乳癌患者個人に合わせた選択を行うことが重要である。

4)望ましい効果と望ましくない効果のバランス

歴史的背景が浅く,バランスを考えるための情報が不足しており,分からないと判断した。卵巣凍結の望ましい効果とは配偶者が不要であること・調節卵巣刺激が不要であること・未受精卵の保存数が多いことである。また望ましくない効果とは,歴史が浅く有効性の検証が不十分・腫瘍細胞が混入するリスクがあることである。

5)コスト資源のバランスはどうか

費用対効果に関する研究は抽出されなかった。そのため,「平成28年厚生労働省子ども・子育て支援推進調査研究事業報告書」をもとに経済的負担について検討したが,コスト資源のバランスの結論を得る十分な情報は得られなかった。同調査では,卵巣凍結に関わる費用は,おおよそ65万円であることが報告されている。

6)推奨のグレーディング

以上より,本CQの推奨草案は以下とした。

推奨草案:
挙児希望をもつ乳癌患者に対し,胚(受精卵)凍結・未受精卵凍結が実施困難である等,限定的な条件のもとで卵巣凍結の実施を推奨する。しかし妊娠率や生児獲得率等の不確実性から,一般的には胚(受精卵)凍結・未受精卵凍結を推奨する。

最終投票には投票者12人中11人が参加し,11人が推奨草案を支持した。会議に参加できなかった投票者も会議後議論を踏まえ検討し,投票を行った。結果,「当該介入または比較対照のいずれかの条件付きの推奨」11人,「当該介入の条件付きの推奨」1人であった。91.7%の合意形成となり,採用に至った。

妊孕性温存の方法として,胚凍結,未受精卵凍結・卵巣凍結の3つがある。これまでに述べたように,胚凍結の利点は妊娠率が比較的高い・腫瘍細胞が混入しない,欠点は調節卵巣刺激が必要(治療が遅れるため採卵回数に制限がある・高エストロゲン環境下となる)・配偶者が必要・胚(受精卵)の保存数が制限されることである。未受精卵凍結の利点は配偶者を必要としない・腫瘍細胞が混入しない,欠点は調節卵巣刺激が必要・妊娠率が低い・卵の保存数に制限があることである。卵巣凍結の利点は,配偶者が不要である・調節卵巣刺激が不要・未受精卵の保存数が多い,欠点は歴史的背景が浅く有効性の検証が不十分・腫瘍細胞の混入するリスクがあることである。また,費用がおおよそ65万円【参照】書籍版P177:
2021年3月から
公的助成あり
である。現状では,これらのことを十分に説明したうえで,選択することが望ましい。

ただし,本邦における卵巣凍結は,研究段階であり実施可能施設が限られていることに留意する。また,保険収載はされておらず,自費診療である。

関連する診療ガイドラインの記載

ASCOガイドラインでは,卵巣移植後の妊娠について1編のメタアナリシスと1編の前方視的コホート研究を示しており,それぞれ出生率37.7%,妊娠率33%であった。今後,卵巣凍結の技術の向上により適応が拡大されるであろうとしている6)

ESHREガイドラインでは,性腺毒性の治療を受ける予定の癌患者に対しては,胚凍結,未受精卵凍結が適さない場合,卵巣凍結を強く推奨している7)。しかし,卵巣予備が低い患者では勧められないとしている7)。また,36歳以上ではよく検討すべきであるとしている。

ESMOガイドラインでは,卵巣凍結は合併症が少なく,胚凍結,未受精卵凍結の代替アプローチであるとしている8)。一部の国では,まだ実験的と見なされているが,米国生殖医学会では確立されたものと見なされるべきであることを示唆していると記載している。

FertiPROTEKTのガイドラインでは,乳癌は比較的予後の良い悪性疾患として,卵巣凍結を含めた妊孕温存を推奨している9)。特に,化学療法前の間隔が2週間未満の場合,卵巣組織の凍結保存が推奨されるとしている。

今後のモニタリング

卵巣凍結は,歴史の浅い妊孕性温存の方法である。そのため,腫瘍細胞の再移入・手術合併症等の安全性,有効性(妊娠率,生児獲得率)の検証について,継続していく必要がある。

外部評価結果の反映

本CQでは,反映すべき指摘はなかった。

参考資料

1)キーワード

英語:
breast cancer,ovarian tissue cryopreservation
患者の希望:
QOL,satisfaction,patient preference,decision conflict,decision aid,regret
経済:
cost,economic burden,financial toxicity

2)参考文献

3)文献検索フローチャート・定性的システマティックレビュー・SRレポートのまとめ