乳癌の標準治療においては,局所療法である手術,放射線療法に加え全身療法である薬物療法がサブタイプや進行度に応じて推奨される。これら標準治療を終了した患者における挙児の希望は重要な問題と考えられるが,従前は妊娠に伴うエストロゲン値上昇による再発リスクの増大や,標準治療後における妊娠の安全性への懸念から乳癌患者の妊娠を疑問視する見方もあった。
本CQにおいては標準治療を終了した患者において自然妊娠の希望があった場合にどのようなエビデンスがあり,どの程度のリスクがあるのかについて検証した。
本CQでは,標準治療終了後に自然妊娠した群と妊娠をしなかった群の2群間で,「無病生存期間」「全生存期間」「エストロゲン値」「費用」「患者意向」を,出生児に関しては標準治療終了後に自然妊娠して出生した児群と一般集団における自然妊娠にて出生した児群の2群間における「児の奇形発症率」をアウトカムに設定した。
2000年から2019年に掲載された文献を検索した。検索された153編から17編を二次スクリーニングに採用し,そのうち6編を最終評価に採用して6つのアウトカムに関して定性的なシステマティックレビューを行った。
2編の観察研究による定性的なシステマティックレビューでは,対照群と介入群でDFSの差を認めなかった。研究の異質性,研究数が少ないこと,バイアスが大きいこと,すべてが観察研究であることからエビデンスの確実性は非常に弱いとした。なお,サブタイプおよび術後の治療に関する詳細な記述が少ない文献が多く,これらが予後に与える影響は不明である。
3編の観察研究による定性的なシステマティックレビューでは,対照群と介入群でOSの差を認めなかった。研究の異質性,研究数が少ないこと,バイアスが大きいこと,すべてが観察研究であることからエビデンスの確実性は非常に弱いとした。なお,サブタイプおよび術後の治療に関する詳細な記述が少ない文献が多く,これらが予後に与える影響は不明である。
エストロゲン値について検討されている報告は認めなかった。
2編の観察研究による定性的なシステマティックレビューでは,乳癌治療後に妊娠・出産に至った児と一般集団の児との比較が行われており,奇形発症率が乳癌治療後群で高まるという報告と高まらないという報告が1編ずつであった。研究の異質性,研究数が少ないこと,バイアスが大きいこと,すべてが観察研究であること,結果に一貫性がないことからエビデンスの確実性は非常に弱いとした。
費用対効果について検討された研究はなかった。
患者意向について検討された研究はなかった。
6編のコホート研究から,
の3つのアウトカムについて検討した。
DFSにおいては対照群と介入群で差を認めなかったが,背景となる病期や治療介入において大きな差が認められるため,標準治療終了後の自然妊娠が直接DFSに与える影響に関する正確な評価は難しいと思われた。
OSにおいても同様に,背景となる病期や治療介入において2群間で大きな差が認められるため,標準治療終了後の自然妊娠が直接OSに与える影響に関する正確な評価は難しいと考えられた。
児の奇形症発症率においてはnational registry dataであるため選択バイアスは少ないが,がん患者と健康な対照群では様々なケアの差が存在すると予想され,背景にある交絡因子を十分に拾い上げることは困難である。採用された2編はいずれも,乳癌の治療内容の詳細が不明であり,また人工妊娠中絶に関する情報がないことからも標準治療終了後の自然妊娠が直接奇形症発症率に与える影響に関する正確な評価は難しいと考えられた。
害・益: | 標準治療を終了した乳癌患者が自然妊娠した際に再発率の上昇や生命予後の悪化,児の奇形率の上昇は認めなかった。 |
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ガイドライン作成委員は,乳癌治療医4人,産婦人科医4人,看護師・倫理・医療統計・患者各々1人ずつの合計12人であった。申告の結果,経済的・アカデミック両者のCOIによる申告の影響はないと判断した。事前に資料を供覧し,委員全員の各々の意見を提示したうえで,議論および投票を行った。
標準治療終了後における自然妊娠が乳癌の予後や児の発育にどれだけ影響するかというCQは優先される重要な問題であるという認識は委員間で一致した(「おそらく優先事項である」2人,「優先事項である」3人)。乳癌患者は標準治療が終わっても妊娠をしないほうがよいのではないかという歴史的な概念に対し,自然妊娠をすると本当に望ましくないアウトカムが増加するのかということを検証することを旨とするCQであることが確認された。
議論の冒頭で望ましい効果,望ましくない効果は表裏一体のものもあり,自然妊娠をしても乳癌の予後が悪くならないというエビデンスがあったときに“益のエビデンスが存在する”ととるのか“害のエビデンスはない”ととるのかといった問題が生じるとの指摘があった。また,一般的なガイドラインにおけるCQのように対象に対する介入の是非を諮るという形式で議論を進めていく際に,標準治療を終了した乳癌患者において“自然妊娠を試みること”を介入として設定することの妥当性に疑義が聞かれた。介入を“自然妊娠の希望者に肯定的に対応していくこと”と考えたときには介入の是非が分かりやすい議論になるのではないかとの意見も出された。
最終的に自然妊娠による“望ましい効果”は「中」程度と回答した委員が4人,「分からない」とした委員が1人,“望ましくない効果”に関しては「小さい」と回答した委員が3人,「わずか」と回答した委員が1人,「分からない」と回答した委員が2人であった。
システマティックレビューに採用された文献の数および質から委員全員がエビデンスの確実性については「弱い」と回答した。
従前の“乳癌患者は妊娠をしないほうがよいのではないか”という考えは,おそらく妊娠によるエストロゲン値上昇に起因する乳癌再発リスクの上昇や乳癌治療に起因する奇形症発症率の増大等への懸念によるものではないかと考えられるため,乳癌の治療成績や奇形発症率に関する患者の価値観に大きなばらつきはないのではと考えられた。また実際に妊娠した後に妊娠を維持するか悩む場合等ではばらつく可能性が出てくると思われるとの意見も出された。
最終投票時には委員全員が「重要な不確実性またはばらつきはおそらくなし」と回答した。
最初に乳癌の標準治療終了後に“自然妊娠を試みること”を介入と考えた場合に望ましい効果は何になるかということが話し合われた。子どもがいる人生が得られること,通常の妊娠・出産と比べて奇形症が少ないこと,乳癌の再発リスクを増大させないこと等が挙げられたが個々の委員により考え方は様々であった。
次いでこのCQを参照する医療職・患者の立場で考えたときには,望ましい効果と望ましくない効果のバランスが取れているかどうかを“自然妊娠を試みることで望ましくないアウトカムの報告があるか”や“一つの選択肢として許容されるか”といった形で提示できることが重要であることには全委員の一致した合意が得られ,患者側からもそのような提示を医療者側から得られることは大きなメリットがあるとの意見が出された。
ただし標準治療を終了した患者では背景のばらつきが大きく,例えばホルモン受容体陽性乳癌で術後内分泌療法が5年,10年と施行されて終了した場合と,トリプルネガティブ乳癌で術後化学療法が終了した場合とでは標準治療終了時点の再発リスクが大きく異なるため,一律に推奨を決めるのが難しいという意見も出された。
最終投票では「介入も比較対照もいずれも優位ではない」と回答した委員が4人,「おそらく介入が優位」と回答した委員が2人であった。
通常の妊娠・出産とは大きく費用は変わらないと考えられるため,総じて費用対効果はあるのではないかとの意見が出た一方,そもそも妊娠・出産において費用対効果という考え方そのものが馴染まないのではないかという意見も出された。費用対効果は「いずれも優位でない」と回答した委員が1人,「おそらく介入が優位」と回答した委員が1人,「分からない」と回答した委員が4人であった。
容認性としては挙児希望の患者と医療者にとって“自然妊娠を試みること”は受け入れ可能な選択肢だと思われることでは意見が一致した。
現状得られたエビデンスからは,標準治療終了後の自然妊娠を希望する乳癌患者に対してその希望を容認することは実行可能な選択肢と考えられたが,時に標準治療終了時点でかなり高い再発リスクの状態である患者も含まれ,そのような際には暫時妊娠を避けた経過観察を推奨することもあり得る点から実効性がある選択肢として「おそらく,はい」と回答した委員が6人であった。
乳癌の標準治療を終了した時点で自然妊娠を希望する場合には,その時点での乳癌の再発リスクを鑑みながら個々の症例において推奨度合いが定められるのが妥当と判断されるが,現状得られたエビデンスからは総じて自然妊娠が悪いアウトカムに結びつくということはないと思われた。
どの程度低い再発リスクであれば自然妊娠が許容されるかという閾値を医学的に設定することは困難であり,また時には標準治療が行われている途中でも自然妊娠を希望する場合も考えられる。術後内分泌療法のように標準治療が5~10年と長期にわたるものがあることから,十分に低い再発率と判断できるまで妊娠を避けながら標準治療を継続することや経過観察を行うことは,加齢に伴う妊孕性の低下等,妊娠・出産に関する機会逸失とトレードオフの関係にあることを常に念頭に置いておかなくてはならないと思われた。
また生殖医療専門医からは患者希望を受けた際に乳癌再発リスクがどの程度あるかに関する判断が難しく,乳癌治療医との連携が不可欠であるとの意見が出された。この問題は生殖医療専門医と乳癌治療医が同一施設で綿密な連携がとれる際には大きな問題にならないが,生殖医療が不妊専門クリニック等の別施設で行われている場合には問題になる可能性も示された。
妊娠・出産に関しては患者側の強い希望があることも多く,乳癌再発リスクが高い場合にはそれをどこまで許容するかという点が問題となってくる。“自然妊娠を試みること”が医療者側に決裁権のある許諾事案というわけではなく,乳癌再発リスクや妊娠・出産の可能性を踏まえて医療者側と患者がよく話し合い,お互いに理解と許容が十分に得られたうえでの意思決定につなげることが重要であると考えられた。
以上より,本CQの推奨草案は以下とした。
最終投票には投票者12人中7人が投票に参加し,7人が推奨草案を支持した。会議に参加できなかった投票者も会議後議論を踏まえ検討し,投票を行い12/12人(100%)の合意形成となり,採用に至った。
条件としては自然妊娠希望時点での再発リスクがそれほど高くない点,再発リスクや自然妊娠の可能性をよく理解し判断したうえでの意思決定であること等が挙げられた。
ESMOガイドラインにおいては,適切な治療と経過観察期間を終えたがん患者においては安全性を理由に妊娠を止めるべきではないとされている。ただし一般集団と比べて妊娠期,出産時の合併症が増加することから,より綿密なモニタリングが推奨されている7)。
ESHREガイドラインにおいては,化学療法・放射線療法により妊娠時のリスクが増大するおそれがあることや,またこれに伴い妊娠前に追加の検査や循環器科へのコンサルト等が必要に応じて行われることが記載されている。また妊娠中のモニタリングが通常妊娠時より綿密に行われること等が記載されている8)。(BQ6参照)
若年者に多いトリプルネガティブ乳癌では,周術期の薬物療法の多くは1年以内に終了し,遠隔再発も術後3年以内が好発期間である。これに対しホルモン受容体陽性乳癌においては長期にわたって遠隔再発の危険性が持続し,長期(10年間)の術後内分泌療法が推奨される等,標準治療の期間や再発が懸念される期間がサブタイプ毎に大きく異なる。これらの因子に配慮する必要性から,サブタイプ毎の情報集積と推奨の考慮が必要になると思われる。
推奨文の表現に関し指摘があったため,当該箇所を修正した。