乳癌の標準治療として,手術,放射線療法,薬物療法がある。薬物療法は,乳癌のサブタイプや進行度に応じて推奨されるが,化学療法の有害事象として卵巣機能低下があり,妊孕性の低下が懸念される。挙児希望の乳癌患者が乳癌治療を行う際,妊孕性温存方法として胚凍結,卵子凍結,卵巣凍結の選択肢があり,年齢やパートナーの有無,また乳癌治療の遅れ等を検討して,その適否を考える。凍結保存以外の選択肢として,化学療法施行時にGnRHアゴニストを併用することが試みられている。これはGnRHアゴニストの投与により卵胞発育を抑制し,未成熟卵胞優位とすることにより,化学療法に対する感受性を低下させ,卵巣機能の保護を企図するものである。本CQでは,卵巣機能保護を目的として化学療法施行時にGnRHアゴニスト使用する場合と,妊孕性温存を行わない場合との主要なアウトカムを比較検討し,その有用性とリスクについて議論・推奨を提示することで,臨床決断の大きな助けになることが期待される。
本CQでは化学療法施行時に,卵巣機能保護を目的としてGnRHアゴニストを使用する場合と,しない場合の2群間で,「生児獲得率」「妊娠率」「月経回復率」「費用」「QOL」を評価した。
2000年から2019年に掲載された論文を検索した。4編のRCT,2編のコホート研究と1編の症例対照研究から,生児獲得率,妊娠率,月経回復率,費用,QOLの5つのアウトカムについて定性的なシステマティックレビューを行った。
1編のRCT,1編のシングルアームコホート研究の報告があった1)2)。RCTでは生児獲得率は介入群で21%,対照群で11%で両群間で有意差を認めた1)。またコホート研究ではGnRH投与後の生児獲得率は36.6%(15/41症例)2)と,RCTでGnRHを使用した群の生児獲得率を上回るものであり,ある程度一貫性はあると判断される。しかし,コホート研究では一部患者の脱落があること,またいずれも背景として挙児希望の有無については不明であり,解釈には注意が必要であることからエビデンスの確実性は弱とした。
RCTは2編あり,有効性を示す報告が1編,同等とする報告が1編あった1)3)。メタアナリシスでは妊娠率は介入群で13.5%,対照群で8.2%,相対効果は1.60(95%CI:0.30-2.98)となり,有意差は認めなかった。1編のシングルアームコホート研究では生児獲得率は36.6%(15/41症例)2)であった。論文数が少なく,いずれも背景として挙児希望の有無については不明であり,解釈には注意が必要であるが,RCTの結果より本アウトカムについて有意差が明らかではないとし,エビデンスの確実性は中とした。
4編のRCT1)3)~5)と2編のコホート研究2)6),1編の症例対照研究があった7)。RCTは3編で有効性あり,1編で有意差なしとしている。この4編のメタアナリシスでは月経回復率は対照群で64.0%(151/236症例),介入群で85.0%(192/226症例),相対効果は1.29(1.01-1.52,p=0.04)であり,有意差をもって有用性を認めた。症例対照研究では胞状卵胞数計測(antral follicle count;AFC)を卵巣機能の指標としており,アウトカムとやや乖離することに注意が必要であるが,GnRHアゴニストの使用がAFC回復に有用であったとしている7)。またコホート研究では本アウトカムにおいてGnRHアゴニストが有用であるとするものが1編2),なしとするものが1編6)であった。対象年齢や月経再開の定義等による研究の異質性があり,また月経再開には患者背景や乳癌治療の影響もあるが,RCT 4編のメタアナリシスの結果に基づき,本アウトカムについて介入が有用であるとするエビデンスの確実性は中とした。
費用対効果およびQOLについて検討された研究はなかった。
4編のRCT,2編のコホート研究と1編の症例対照研究から,
の5つのアウトカムについて検討した。
益: | 妊娠率に関しては,有効性を示すRCTが1編と同等とする報告が1編あった。月経回復率は4つのRCTのメタアナリシスで有意に改善を認めた。妊娠,出産等のアウトカムに関しては,患者の挙児希望の背景因子が大きく関わるため,結果の解釈に注意が必要ではある。挙児希望のある患者にとって,真に重要なアウトカムである生児獲得に向け,代替指標として月経回復や妊娠率をアウトカムとして検討することは妥当であり,その有用性についてはエビデンスの確実性は高いとはいえないものの,ある程度の一貫性があると考えられる。 |
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害: | 費用とQOLについては文献がなく評価できなかった。 |
ガイドライン作成委員は,乳癌治療医4人,産婦人科医4人,看護師・倫理・医療統計・患者各々1人ずつの合計12人であった。申告の結果,経済的・アカデミック両者のCOIによる申告の影響はないと判断した。事前に資料を供覧し,委員全員の各々の意見を提示したうえで,議論および投票を行った。
妊娠・出産率を高める目的で,化学療法施行時にGnRHアゴニストを使用することは推奨されるか?というCQは優先される重要な問題である,という認識は委員間で一致した(「おそらく優先事項である」4人,「優先事項である」2人)。妊孕性温存方法として胚凍結,卵子凍結,卵巣凍結等があるが,パートナーの有無,施設環境,コストや早期の化学療法導入を要する場合等により,これらを選択しない,もしくは選択できない患者にとって,選択肢の重要性は高まると考えられた。
望ましい効果を議論するうえで,本選択肢は前述の妊孕性温存方法と比較し,妊娠もしくは生児獲得の確実性が高い選択肢ではないことは認識する必要があることも確認された。生児獲得率や妊娠率はもともとの患者の挙児希望をはじめとする様々な因子が影響するため,これらのアウトカムをRCT等により評価することは困難である。一方,月経回復率に関してはRCTがあり,エビデンスが中程度にあると考えられるが,月経回復は妊孕性が保持されていることを保証するものではない。本介入による望ましい効果に対する期待度は高いものの,客観的には効果が小さいと予期され,本介入法が過度な期待とならないよう,医療者と患者間の適切なディスカッションが望ましいと考えられた。
望ましくない効果については,今回検討した主要アウトカムとしてはQOLの低下と費用が相当するがそれらのエビデンスは確認されなかった。乳癌診療の立場から,化学療法とGnRHアゴニストを同時に使用することで化学療法の効果に影響がないかどうかも評価項目とするべきであった可能性が指摘されたが,短期的・長期的に明らかな害のエビデンスは報告されておらず,影響は少ないであろうと議論された。またGnRHアゴニスト使用によるホットフラッシュをはじめとする有害事象はあるが,化学療法による有害事象としての卵巣機能抑制や乳癌内分泌療法におけるGnRHアゴニスト使用時と同等であり,許容可能であると考えられた。
最終的に化学療法施行時にGnRHアゴニストを使用することによる望ましい効果は「小さい」と回答した委員が4人,「中」程度とした委員が1人,望ましくない効果に関しては「小さい」と回答した委員が1人,「わずか」と回答した委員が2人,「分からない」と回答した委員が2人であった。
アウトカム全体のエビデンスについては投票時は2人が「中」程度,3人が「弱」と判断した。 最も重要なアウトカムを生児獲得率とするとエビデンスの確実性は弱いと考えられた。
アウトカムの優先順位に対する患者の価値観に関する研究は抽出されなかった。本介入を検討する場合は挙児希望があることが前提ではあるが,挙児希望への期待値は患者毎に異なるため,“アウトカムをどの程度重視するかについてのばらつきがある”と考えられるのではないかと議論された。投票時は4人が「重要な不確実性またはばらつきあり」,2人が「重要な不確実性またはばらつきの可能性あり」,1人が「重要な不確実性またはばらつきはおそらくなし」と判断した。
生児獲得率や妊娠率に関するエビデンスレベルは高くはないものの,月経回復率に対するある程度のエビデンスがあること,また望ましくない効果が少ないことより介入が優位であるとする見解が確認された。投票時は委員全員が「おそらく介入が優位」と判断した。
費用対効果に関する研究は抽出されなかった。本邦では卵巣機能保護を目的としたGnRHアゴニストの使用は保険適用外である。自費診療として実施する場合は用いる薬剤,製剤により差はあるが,月額3万円前後と想定される。医療費の自己負担増は望ましくない効果と捉えることもできるが,その負担額は胚凍結,卵子凍結,卵巣凍結等と比較すると小さく,挙児希望の強い患者にとっては,許容可能な範囲ではないかと議論された。投票では1人が「比較対照がおそらく優位」「介入も比較対照もいずれも優位でない」が2人,「おそらく介入が優位」が2人,「分からない」が3人であった。
容認性については望ましい効果のエビデンスが弱い中で妥当かどうかについて検討されたが,挙児希望の選択肢として,他の選択肢が限られる場合等に本介入は妥当な選択肢であると,意見は一致した。
実行可能性については,薬剤の入手可能性,投与,有害事象管理等の観点からは本邦の多くの乳癌診療施設においては可能であると考えられた。一方,生殖医療との連携および自費診療としての体制整備等については一律ではないと考えられた。投票では「おそらく実行可能」が7人,「実行可能」が1人であった。
以上より,本CQの推奨草案は以下とした。
最終投票には投票者12人中7人が投票に参加し,7人が推奨草案を支持した。会議に参加できなかった投票者も会議後議論を踏まえ検討し,投票を行い12/12人(100%)の合意形成となり,採用が決定した。
限定的推奨とした理由として,望ましいアウトカムである生児獲得に関し胚凍結等の手法に比較し劣ること,本介入を実施が推奨される年齢層が判然としないこと等が挙げられた。月経回復率が高いエビデンスがあり,卵巣機能保護の代替指標として期待されるが,完全に卵巣機能を保護できるわけではない。また,保険適用外の介入手段であり,費用負担も一因として挙げられた。一方,胚凍結をはじめとする妊孕性温存療法は居住地域,高額な費用負担,採卵等に関わる期間や侵襲があり,これらを選択できない患者にとっては,本介入法は唯一の選択肢になり得ること等が議論された。さらに,本介入法は胚凍結や卵子凍結とも併用して実施される可能性についても検討された。
今回の検討では胚凍結をはじめとする妊孕性温存療法を選択できない場合,挙児を強く希望される場合,産婦人科との連携や本介入が可能な施設体制を整備している施設,本介入による生児獲得率への寄与度が不確実な可能性や費用負担増加について許容可能な症例等に限定して,十分なディスカッションのうえ,弱い推奨が妥当と考えられた。
ASCOおよびESMOのガイドラインにおいて,若年乳癌患者において,GnRHアゴニストによる化学療法時の卵巣機能保護は妊孕性温存としての確実な手法とはいえず,胚凍結・卵子凍結をはじめとする妊孕性温存療法に取って代わる方法ではないが,これらの手法が選択できない場合には,選択肢として提示する余地があるとしている8)9)。
FertiPROTEKTのガイドラインでは,乳癌の化学療法においてホルモン受容体陽性乳癌においてはGnRHアゴニストの使用は個別に検討,ホルモン受容体陰性乳癌においては胚(受精卵),卵子,卵巣温存とともにGnRHアゴニストは提示される選択肢とされている10)。
ESHREガイドラインでは閉経前乳癌症例に対して,卵巣機能保護を目的としたGnRHアゴニストの使用はオプションとして提示されるべきではあるが,卵巣機能効果がどの程度温存可能なのか,将来の妊娠がどの程度可能なのかに関するエビデンスは限られている。また,胚(受精卵)・卵子等の凍結による妊孕性温存に取って代わるものではないとされている11)。
日本乳癌学会編『乳癌診療ガイドライン2018年版』(薬物療法FQ13)では,「化学療法に併用するLH-RHアゴニストは化学療法誘発性閉経を減少させる可能性が報告されている。しかし,妊孕性維持の目的でのLH-RHアゴニストの有効性を示すようなエビデンスは乏しい」と言及されている12)。背景としてLH-RH(GnRH)アゴニストと化学療法の併用による直接的な有害事象は問題となる可能性は低いものの,出産や児の長期的な影響等に課題があるとしている。
乳癌のサブタイプも考慮したうえで,GnRHアゴニスト投与下での化学療法の効果への影響や生児獲得率の変化について今後の研究が望まれる。胚凍結や卵子凍結を行ったうえで,さらに卵巣機能保護目的のGnRHアゴニストを使用することの有用性に関し,今回のガイドライン作成では詳細な検証をしていないものの,今後の検討事項として挙げられる。
外部評価にて関連学会から,GnRHアゴニスト製剤の卵巣機能保護の作用機序,その他のガイドラインでの位置づけについて指摘を受けたため,当該箇所に追記した。