乳癌患者の妊娠・出産と生殖医療に関する診療ガイドライン

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妊娠中の乳癌患者に抗HER2療法は推奨されるか?

ステートメント
妊娠中の抗HER2薬の投与は,母体に対する羊水過少症のリスク,胎児に対する呼吸機能障害,腎障害等のリスクが上昇することが明らかであり,投薬を行うべきではない。抗HER2薬治療が必要な妊娠期乳癌患者に対しては,出産後に抗HER2薬を追加して治療を行う。

BQの背景

妊娠中の分子標的薬治療については限られた情報しかない。分子標的薬といってもモノクローナル抗体のような分子量の大きなものから,チロシンキナーゼ阻害薬のような分子量の小さなものまで幅広く,一概に妊娠中の使用の可否を論じることはできない。

分子量の大きいモノクローナル抗体は,胎盤が完成する妊娠14週頃までは胎盤を通過する輸送方法が確立していないため,胎児への影響は少ないと考えられるが,逆に胎盤が完成する2nd trimesterおよび3rd trimesterでは胎盤を通過し胎児に影響を与えることが分かっている1)

現在,HER2陽性乳癌に対する周術期薬物療法および転移再発乳癌に対する薬物療法は,殺細胞性抗がん剤とモノクローナル抗体である抗HER2薬(トラスツズマブ,ペルツズマブ等)の併用が標準治療とされている。本BQでは妊娠中の抗HER2薬投与に関する安全性を中心に解説する。

解説

1)母体への影響

Zagouriらは,妊娠中にトラスツズマブ投与を行った症例報告(17編)のシステマティックレビューを行っている2)。このシステマティックレビューによると,妊娠中にトラスツズマブ投与を受けた母親18人中11人(61.1%)で羊水過少症を合併したと報告されている。妊娠週数別に分けると,2nd trimesterまたは3rd trimesterでトラスツズマブ投与を受けた母親15人中,羊水過少症は11人(73.3%)で合併したのに対し,1st trimesterでトラスツズマブの投与を受けた3人では羊水過少症の合併は認めなかった。

羊水は胎児の尿が主な産生源である。妊娠中にトラスツズマブ投与により,羊水過少症が起こる原因は,トラスツズマブが胎盤を通過し胎児の腎臓に発現している上皮成長因子受容体(EGFR)をブロックし,胎児の腎機能障害を引き起こすことで,羊水生産を低下させているためと考えられている。

トラスツズマブ投与による羊水過少症は可逆的であるため,トラスツズマブの投与を中止すると羊水量は戻ることが分かっているが,原則的に妊娠中(特に2nd trimester以降)の投薬は推奨されない。

また,同じく抗HER2薬であるペルツズマブにおいては,マウス実験による前臨床データにおいて,妊娠中の投薬による流産が増えることが報告されている3)

2)胎児への影響

Zagouriらのシステマティックレビューによると,在胎期にトラスツズマブ投与を受けた児19人のうち10人(52.6%)は健康に生まれたと報告されている。一方で9人は,新生児呼吸窮迫症候群や肺形成不全,腎機能障害,敗血症等の新生児合併症を併発していた2)

また,同じく抗HER2薬であるペルツズマブにおいては,マウス実験による前臨床データにおいて,妊娠中の投薬による胎児死亡の増加が報告されている3)

これらのことから,妊娠中の抗HER2薬投与は母体だけではなく,児へもまた悪影響をもたらすことが分かっている。

3)児の長期発育

Zagouriらのシステマティックレビューによると観察期間中央値9カ月(6~10カ月)の時点で,出生時に健康だった10人は問題なく成長していたと報告されている。一方で,何らかの合併症を有した9人の児のうち4人は,出生後5.25カ月のうちに死亡していることが分かった。妊娠週数別に分けると,1st trimesterでトラスツズマブ曝露を受けた児はいずれも出生時に健康であったのに対し,2nd trimesterまたは3rd trimesterでトラスツズマブ曝露を受けた児の25%(16人中4人)が出生後に死亡していた2)

4)1st trimesterでの抗HE2薬投与に関して

1st trimesterは胎児の器官形成期であり,薬物療法にかかわらず手術も含めたがん治療自体を行うことは推奨されない。

一方で,過去の大規模臨床試験の結果を用いて,抗HER2薬投与中に偶発的に妊娠が発覚した症例の検討も行われている。

①トラスツズマブ

術後補助療法としてのトラスツズマブの有効性を検討したHERA試験において,トラスツズマブ投与中に偶発的に妊娠が発覚した16人のうち,4人は自然流産していたが,残る12人は妊娠発覚後にトラスツズマブの投薬を中止し,特に問題なく出産に至っていた4)

また,Zagouriらのシステマティックレビューにおいても,1st trimesterでのトラスツズマブ投薬による母体および胎児への影響は報告されていない。

②ラパチニブ

術前または術後化学療法にトラスツズマブ±ラパチニブの追加効果を検証したNeo ALLTO試験およびALLTO試験に参加した患者のうち,トラスツズマブ±ラパチニブ投薬中に偶然,妊娠が分かった患者は12人いた。そのうち8人は人工妊娠中絶を選択したが,5人は妊娠を継続した。妊娠を継続した5人のうち,妊娠初期にラパチニブを内服していた患者は2人,トラスツズマブ投与を受けていた患者は4人いた。いずれも妊娠発覚後は投薬を中止し,特に問題なく出産に至っていた5)

これらのデータから,偶発的な1st trimesterでのトラスツズマブまたはラパチニブの投薬経験がその後の母体や胎児への悪影響を及ぼすことは少ないと考えられる。しかしながら,これらのデータは決して,1st trimesterでの抗HER2薬の投与を支持するものではない。

関連する診療のガイドラインの記載

NCCNガイドラインでは妊娠中の抗HER2薬投与は禁忌と記載されている6)。またESMOガイドラインにおいても,トラスツズマブだけではなくその他の抗HER2薬の投与は出産後に延期すべきと記載されている7)

参考資料

1)キーワード

英語:
breast cancer during pregnancy,trastuzumab,pertuzumab
患者の希望:
QOL,satisfaction,patient preference,decision conflict,decision aid,regret
経済:
cost,economic burden,financial toxicity

2)参考文献