乳癌患者の妊娠・出産と生殖医療に関する診療ガイドライン

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担がん状態の乳癌患者に対し,調節卵巣刺激を行って採卵することは推奨されるか?

推奨
担がん患者に対する調節卵巣刺激は原則的には原発巣切除後に行うことを推奨する。ただし,術前化学療法を避けられない患者が妊孕性温存を希望した場合,原発巣切除前に調節卵巣刺激を行うことを考慮してもよい。
【推奨のタイプ:当該介入または比較対照のいずれかについての条件付きの推奨,エビデンスの確実性:弱,合意率:100%(12/12)】
推奨の解説:
採卵による治療開始の遅れが,臨床的に重大な問題にならない場合に推奨される。

CQの背景

乳癌患者が妊孕性温存療法を望む際,将来の妊娠の可能性をより残すためにより多くの胚・卵子の保存を希望することが多い。より多くの卵子を採取するには,調節卵巣刺激を行う必要がある。しかし,レトロゾール併用で行った場合でも,エストラジオール値の上昇を伴う。そのため,特に乳癌治療前の担がん状態で調節卵巣刺激を行うことは乳癌の予後に影響することが懸念される。現状では,妊孕性温存療法を希望するために本来なら術前化学療法を行うところ,手術先行を選択する場合がある,一方で,術前化学療法が必要な場合でも病状によっては治療開始まで数週間余裕がある場合等では状況が異なるため,本CQで検討することとした。

アウトカムの設定

本CQでは,術前化学療法または手術を予定している患者で,術前化学療法または手術前に調節卵巣刺激を行った群と行わなかった群間で,「無病生存期間」「全生存期間」「妊娠率」「生児獲得率」「エストロゲン値の上昇」「費用」「がん治療開始までの期間」をアウトカムとした。文献は術前化学療法開始前に調節卵巣刺激を行った群と手術先行で術後化学療法開始前に調節卵巣刺激を行うまたは調節卵巣刺激を行わない群との比較となった。

採用論文

2000年から2020年に掲載された文献を検索した。3編の症例対照研究,2編の横断研究について定性的システマティックレビューを行った。

アウトカム毎のシステマティックレビューの結果

1)乳癌無病生存期間(DFS)

乳癌のDFSそのものを報告している文献はなかった。乳癌治療前に妊孕性温存療法を行った介入群207人と行わなかった対照群122人を観察期間中央値43カ月(2-130カ月)の時点での乳癌無病率(disease free survival;DFS)を比較したところ,介入群93%,対照群94%でHazard Ratio(HR)0.7(95%CI:0.3-1.7)と差がないとする報告がある。この報告では両群とも化学療法を行っていない症例が含まれている1)。また,もう1編では術前化学療法を行う症例のみで,乳癌病期Ⅱ-Ⅲ期かつ43歳未満に限り,調節卵巣刺激を行った介入群34人と行わなかった対照群48人を,観察期間中央値79カ月で,再発または死亡までの期間を比較し,中央値67 vs. 63カ月,p=0.984と有意差なしと報告されている。また,同報告では再発/死亡率(再発と死亡を分けていない)が介入群で17.6%(6/34)vs. 対照群で20.8%(10/48),p=0.784とこちらも有意差なしと報告されている2)

いずれの報告も観察期間が短いこと,症例数が少なく,エビデンスの確実性は弱とした。

2)全生存期間(OS)

OSについて検討された研究はなかった。

3)妊娠率

43歳未満で術前化学療法前に調節卵巣刺激を行い妊孕性温存療法を行った34人中3人が自身の胚を移植して2人から3児が出産したという報告2)がある。また,乳癌治療前に妊孕性温存療法を行い胚または卵子凍結保存をした21例中2例が凍結していた胚を移植し妊娠したが,この2症例がどのような乳癌治療を行ったかは不明であった3)。症例数が少なく,エビデンスの確実性は弱とした。

4)生児獲得率

3)と同様の報告があった。

5)エストロゲン(E2)値の上昇

乳癌患者の調節卵巣刺激に関しては,CQ3にあるように,E2値の上昇を抑制するため,レトロゾールを併用して行うことが多い。

術前化学療法を行う前に調節卵巣刺激を行う場合に関しては,術前化学療法を行う40人にレトロゾールを併用し調節卵巣刺激を行い,排卵誘発薬の投与開始時期で3群に分けて比較したところ(月経周期の卵胞期早期11人,卵胞期後期10人,黄体期19人),採卵数・排卵誘発薬投与期間および投与量に差がなく,採卵のため卵子を成熟させる薬剤投与時(=trigger日)の平均エストラジオール値も3群間で差がないとする報告(それぞれ,783.0±411.7pg/mL,661.7±666.7pg/mL,510.2±274.8pg/mL,p=0.053)があるが,調節卵巣刺激を行っていない症例や乳癌治療前にレトロゾールを併用していない調節卵巣刺激を行った症例と比較はしていなかった4)。また,乳癌治療前に調節卵巣刺激を行い胚または卵子凍結保存を行った症例と乳癌治療後に不妊治療で調節卵巣刺激を行った症例を合わせて,レトロゾール併用群35周期とレトロゾールを併用しなかった群47周期でピーク時のエストラジオール値を比較したところ,レトロゾール併用群で675.96±592.31pg/mL,レトロゾールを併用していない群で1391.35±1031.29pg/mLであり,レトロゾール併用群でより低値の傾向はあったが,統計学的に有意差はなかった3)。以上から,担がん状態(術前化学療法前)の乳癌患者に対する,レトロゾールを併用した調節卵巣刺激は,レトロゾール非使用と比べ,エストロゲン値が上昇するかについては限られたデータしかなく,不確実性が残り,エビデンスの確実性は弱とした。

6)費用

費用対効果について検討された研究はなかった。

7)がん治療開始までの期間

乳癌病期Ⅱ-Ⅲ期かつ43歳未満に限り,術前化学療法前に調節卵巣刺激を行った介入群34人と行わなかった対照群48人について,乳癌を診断された日から化学療法開始までの期間を比較したところ,介入群では中央値41.5日,対照群では中央値35.5日,p=0.50と有意差はなかった2)。また,術前化学療法前にランダムスタート法で調節卵巣刺激を行った介入群58人と行わなかった対照群29人で乳癌を診断された日から化学療法開始まで期間を比較したところ,介入群では平均日数38.1±11.3日,対照群では39.4±18.5日,p=0.672と有意差はなかった5)

いずれの報告も症例数が少なく,エビデンスの確実性は弱とした。

システマティックレビューのまとめ

3編の症例対照研究,2編の横断研究についてDFS,OS,妊娠率,生児獲得率,E2値の上昇,費用,がん治療開始までの期間について検討した。

益:調節卵巣刺激を行ってもがん治療開始までの期間は延長せず,再発/死亡率は行わなかった場合と比較して差がなかった。また,少ないが,妊娠・出産の報告がある。
害:妊娠・出産率が明確でない。担がん状態(術前化学療法前)の乳癌患者に対するレトロゾール併用の効果についてははっきりしなかった。また費用については評価できていない。

推奨決定会議の結果

ガイドライン作成委員は,乳癌治療医4人,産婦人科医4人,看護師・倫理・医療統計・患者各々1人ずつの合計12人であった。申告の結果,経済的・アカデミック両者のCOIによる申告の影響はないと判断した。事前に資料を供覧し,委員全員の各々の意見を提示したうえで,議論および投票を行った。

1)アウトカムの解釈について

乳癌治療を開始する前に妊孕性温存療法が行えるかは,妊孕性温存療法を望む患者にとって重要な問題であるという認識で一致した(「おそらく優先事項である」1人,「優先事項である」7人)。“望ましい効果”は妊娠率・生児獲得率に関しての情報がないため,「分からない」と回答した委員が4人だった。“望ましくない効果”に関しては,DFS・OSに関しては,介入群・対照群で有意差はなく,望ましくない効果はわずかと考えられたが,フォローアップ期間が短いことや,乳癌治療開始期間まで調節卵巣刺激を行う期間をもてる症例は限られているのではないかとの意見があり,「わずか」と回答した委員が1人,「小さい」と回答した委員が5人,「中」程度影響があると回答した委員が3人であった。

2)アウトカム全般に対するエビデンスの確実性はどうか

DFS・OSについてはエビデンスレベルはある程度あるが,RCTによるメタアナリシスには及ばず,また妊娠率,生児獲得率,E2値の上昇,費用,がん治療開始までの期間については比較した結果はなく,5人が「弱」,4人が「中」程度と判断した。以上からエビデンスの確実性は弱と判断した。

3)患者の価値観や意向はどうか

担がん状態で調節卵巣刺激を行って採卵をすることを決断する場合,ある程度は価値観は定まっていると考えられるが,実際に行う際には躊躇する場合があると考えられ,「重要な不確実性またはばらつきの可能性あり」7人,「重要な不確実性またはばらつきはおそらくなし」2人となった。

4)望ましい効果と望ましくない効果とのバランス

望ましい効果としての妊娠率・生児獲得率に関する情報がないことから「分からない」とする委員が4人だった。一方,調節卵巣刺激を行うことにより採卵数は増加する可能性が高いが,患者の年齢等により妊娠率は異なることから調節卵巣刺激を行うことは優位であっても「おそらく優位」となるとした委員が2人だった。

5)コスト資源のバランスはどうか

費用に関してはデータがないことから6人が「分からない」,1人が「さまざま」とした。

容認性は再発リスクが患者個々の状態によって異なるため7人全員が「おそらく受け入れ可能な選択肢である」となった。

乳癌治療開始前に生殖補助医療を受けることを希望した場合,本介入を行うことは実行可能な選択肢と考えられたが,地域や医療施設によりその判断は異なることが想定されるため,7人全員が「おそらく実効性がある選択肢である」とした。

6)推奨のグレーディング

担がん状態で調節卵巣刺激を行える患者は乳癌治療開始までに時間がある患者に限られることや行うことによる効果が限られており,担がん状態で調節卵巣刺激を行うことは,妊孕性温存療法を行ううえで第一選択ではないと考えられ,手術の結果によって化学療法になるかが決まるような患者は術後に採卵したほうがよい,個々の状態と希望を加味して決定すること等の意見が出た。

以上より,本CQの推奨草案は以下とした。

推奨草案:
担がん患者に対する調節卵巣刺激は原則的には原発巣切除後に行うことを推奨する。ただし,術前化学療法を避けられない患者が妊孕性温存を希望した場合,原発巣切除前に調節卵巣刺激を行うことを考慮してもよい。

最終投票には投票者12人中8人が投票に参加し,8人が推奨草案を支持した。会議に参加できなかった投票者も会議後議論を踏まえ検討し,投票を行い12/12人(100%)の合意形成となり,採用に至った。

関連する診療ガイドラインの記載

ESMOガイドラインにおいては,調節卵巣刺激を2週間行う余裕があれば調節卵巣刺激を行うことを勧めており,また乳癌でエストロゲン受容体陽性の場合はレトロゾールを併用することも勧められているが,いつ行うかについては言及されていない。

今後のモニタリング

乳癌のサブタイプ別の検討が必要と考えられる。また,再発乳癌患者での適応も検討が必要である。

外部評価結果の反映

「推奨の解説」の表現に関し指摘があり,当該箇所を修正した。

参考資料

1)キーワード

英語:
breast cancer,fertility preservation,time to chemotherapy,neoadjuvant chemotherapy,ovarian stimulation
患者の希望:
QOL,satisfaction,patient preference,decision conflict,decision aid,regret
経済:
cost,economic burden,financial toxicity

2)参考文献

3)文献検索フローチャート・定性的システマティックレビュー・SRレポートのまとめ