乳癌の化学療法では卵巣毒性による妊孕性低下が報告されている。一方,本邦の生殖補助医療では,2018年までに凍結・融解胚移植で約40万人の出生児を得ている1)。患者の年齢,がんの進行度,治療の緊急性,化学療法のレジメン,投与開始前の患者の卵巣機能等で卵胞数減少による妊孕性低下の程度は異なってくるが,挙児希望の乳癌患者にはがん治療医はがん治療による不妊のリスクについて適切に説明し,妊孕性温存を希望する患者には速やかに生殖医療介入の提案が求められる。
一次卵母細胞(卵子)は胎生7カ月で700万個のピークに達し,その周囲を1層の顆粒膜細胞層が包み原始卵胞が形成される。卵子は直接血管には触れず顆粒膜細胞を介しての代謝を行っている(blood-follicle barrier)2)。同時に一次卵母細胞は第1減数分裂を開始するが複糸期で停止し,排卵まで休眠状態となる。胎生期からは卵胞数は減少し思春期開始時に30万個まで減少し,以降に原始卵胞は発育卵胞(顆粒膜細胞分裂開始)となり,計算上は,毎月の排卵に向けて約1,000個の原始卵胞が発育を開始するが,ほとんどは閉鎖卵胞となって消失する。排卵直前のLHサージで成熟卵胞内の卵子は減数分裂を再開するが,加齢とともに減数分裂の際に染色体数的異常発生の機会は上昇する。臨床上は,卵胞数の低下と卵子の質低下を総称して妊孕性低下と表現される。
化学療法での抗腫瘍効果は,原始卵胞・発育卵胞への直接的障害,原始卵胞の発育促進による卵子の枯渇,卵巣血管の血管毒性,あるいは顆粒膜細胞の酸化ストレスが考えられ,早発閉経という形で卵巣に不可逆的ダメージを与える3)。卵胞の発育が開始(顆粒膜細胞の分裂開始)する思春期以降での化学療法では,思春期前の小児に比較し卵巣へのダメージは大きく,特に卵胞数の低下した30代後半からは卵胞数の減少が著明となる。
乳癌で使用される化学療法ではCMF,AC,EC,CAF,FEC,CEF,TAC,TCが初期治療に行われる4)が,いずれの化学療法にもシクロホスファミドを含み,さらにAC,CAF,TACにはドキソルビシンを含んでいる。シクロホスファミドはDNAの複製を阻害し抗腫瘍効果を発揮するが,休眠卵胞の活性化と発育卵胞のアポトーシスが同時に起こるとされ5),卵胞数低下を惹起する。ドキソルビシンはがん細胞の核やミトコンドリアに蓄積し酸化ストレスを惹起するが,顆粒膜細胞や卵子ではアポトーシスを誘導し卵子の細胞死を起こす6)。CMF 6サイクルAC 4サイクルでの早発閉経リスクは33%,FECやFACの6サイクルあるいはAC 4サイクル+ドセタキセル4サイクルの後では50~65%といわれている7)。
化学療法による早発閉経リスクは30~70%であるが予測は困難で,早発閉経となった場合には将来の妊娠・出産の機会は皆無となる。また,化学療法後のフォローアップ期間は癌種や進行度・化学療法の種類で異なるため,この間の加齢による妊孕性低下も考慮しなければならない。
卵子凍結保存の妊娠率に関しては数%と低い成績が報告されていたが,本邦での2018年の報告では,凍結融解未受精卵を用いた移植あたりの妊娠率(対胚移植妊娠率)は28%と報告されている1)。
胚凍結保存の歴史は長く,2018年の報告では対胚移植妊娠率は35%であった1)。1回の採卵で採卵数も多く,凍結保存した卵子・胚が多ければ,胚移植の機会は上昇するため,1回の採卵での累積妊娠率(対採卵妊娠率)はさらに高くなる。しかしながら,凍結時年齢37歳から卵子の質低下に起因した流産率の上昇がみられるため,生産率は凍結時年齢に伴ってさらに低下する1)。
卵子・胚凍結保存での生殖医療の副作用は,調節卵巣刺激に伴うものと採卵に伴うものに大別される。調節卵巣刺激には排卵誘発薬を使用するが,一度に多数の卵胞が発育することに伴って卵巣過剰刺激症候群(ovarian hyperstimulation syndrome;OHSS)を発症することが懸念される。OHSSでは,血管内皮細胞増殖因子(vascular endothelial growth factor;VEGF)による血管透過性亢進の結果,腹水・胸水貯留,脱水症状,血栓症,腎障害等を併発する。OHSSは妊娠によって増悪するため,採卵後妊娠成立しなければ(胚移植の中止),一般的には採卵2週間後の次回月経開始頃には症状が消失する。
採卵は,経腟超音波下にダグラス窩から18~22ゲージの採卵針で卵胞を穿刺して卵子を回収する処置である。まず採卵時外傷として腟壁,ダグラス窩周囲の小血管からの出血,また稀に穿刺後の卵巣出血をきたすことがある。なお,易感染の状態では穿刺後の付属器炎さらに骨盤腹膜炎等の感染症を併発する危険性がある。化学療法をすでに受けてきた患者や化学療法中患者では感染や採卵後出血の危険性が高く,血小板数や白血球数に注意を払って採卵すべきである。
生殖医療の介入での費用については選択した手技により大きく異なる。
胚凍結保存では採卵術に続き体外受精を行って胚になった状態で凍結保存するため初期費用(40万~60万円)の負担が大きいが,将来は胚移植料(数万円)のみの負担となる。卵子凍結では採卵術に引き続き凍結保存となるので,初期費用負担は少ない(25万~40万円)が,将来その卵子を使用して体外受精を行うことになるため数年後に30万~50万円の体外受精料と胚移植料(数万円)が発生する。
卵子・胚凍結のいずれの方法もそれを使用するまでは凍結にかかわる費用が発生するため,若年で凍結した場合には保存期間が長くなり凍結保存料の負担も考慮しなければならない。がん患者の妊孕性温存に対して,2021年4月より国の妊孕性温存研究事業による費用助成制度【参照】書籍版P177が開始されている。
がんの進行度,治療の緊急性によって化学療法を施行した後に生殖医療の介入となる場合がある。化学療法の原始卵胞・発育卵胞への直接的障害としては,減数分裂の細胞周期が停止している卵子に対するものと,卵胞の発育に伴い活発に細胞分裂する顆粒膜細胞に対するものとである。いずれもDNAの損傷によるもので,その修復機能が正常に機能すれば卵胞・卵子は生存する7)。化学療法後も月経周期が回復すれば採卵は可能である。動物実験では,シクロホスファミド投与後排卵までの期間が9週以内の場合は先天異常を認める可能性が有意に高く,12週以降では減少することが示されており,このような影響は薬剤の種類によっても異なる可能性がある8)。しかしながら,化学療法後1年以内の妊娠では,生殖細胞の異常に起因すると考えられる異常の増加を認めなかった9)。化学療法後は採卵数の低下は避けられないが,加齢によるその後の卵胞数の減少を考慮すると,化学療法後早期の生殖医療の介入は推奨されるが,動物実験の結果から化学療法終了後少なくとも3カ月程度の期間をあけることが望ましいと考えられるが,ヒトにおいては不確実であることに留意する必要がある。